火は揺れて、語りは駆動する

先日ツイッターの相互さんと一緒に花火をした。昔から火を見るのは特別な感じがして、めちゃくちゃ好きだった。花火をするのも、見るのも、花火に関しては打ちあがる花火を見るよりも手持ちの花火をやるのがずっとすきなんだけど、他にもたとえば、真冬の午前二時に吸う煙草、流れ着いた木を砂浜で燃やして焚火をしたり、火に関するものは結構幅広く好きだったりする。

 

一時間ほど花火をしたけど、やっぱり花火はいいなあ。まじで楽しい。何本やってもワクワクがとまらねえ。火は何がいいって、ずっと不定なのがいいと僕は思う。火っていうとみんなだいたい同じイメージを想起すると思うけど、実際は火は揺れたり伸びたり、消えたり着いたりする。なんかカッコいい。

 

そのあと美味しいピザをご馳走して貰ったんだけど、そのとき話したことが僕の頭の中で回っている。ぐるぐる回っている。風車みたいに。相性がいい人と話すときには自分が勝手に喋る感じがする。僕はこういう状態のことを勝手に「駆動」と呼んだりしているんだけど、僕の大学の周りにはこういう人が少ないから楽しかったなあ。面倒だったら申し訳ねえなあって今更思っていたりなどしてる。

 

僕はファンタジー小説が好きだった。堀辰雄が好きだった。あの日の記憶が「駆動」する語りによって引っ張り出される。ちょっと涙腺が緩くなったりする。なぜだろう。忙しさで見えなくなった過去が、前を向くために見ようとしなかった過去が、僕のもとに帰ってきてくれた気がしたからかもしれない。

 


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