ジェフ・ベックが死んだ。

ジェフ・ベックが死んだ。

細菌性髄膜炎だったらしい。

細菌性髄膜炎にもいろいろの種類があるが、いったいそのどれにかかったのだろうか。概ね、肺炎球菌あたりだと思うのだが。医学生として一通り触った範囲だからすこし気になってしまう。

ジェフ・ベックが死んだ。

彼を初めて聴いたのは確か高校一年生の頃だったと思う。その頃の僕は本気で音楽を突き詰めようとして、有名なギタリストのアルバムを片っ端から聴いていた。当然三大ギタリストと呼ばれるジェフ・ベックを通過しないわけがない。

彼を初めて聴いた時の印象は今でも鮮明に覚えている。それは「わからない」だった。どうやってその音を奏でているのか僕には皆目わからなかったのだ。最初に聴いた時はギターの音だとは思わず、聴きのがしてしまった。しかし、聴けば聴くほど味わい深く、ジェフ・ベック自身がだれよりも音楽を楽しんでいるのだとわかってきて、それが僕にとっては、まるで唯一の理解者のような、ともに音楽を楽しんでくれる友達のような感覚だった。今になってみると偉そうなんだけど、昔の自分は確かにそう感じていた。

つまり、ジェフ・ベックというのは一人のギターヒーローやアイコニックな存在というよりは、もっと身近な親しみ深い良き理解者の一人であったように思う。だからこそ、彼の死はほかの誰の死よりも認めにくい出来事に感じられてならない。変な話だが、絶縁してしまった肉親よりもいなくなってほしくない存在な気がする。

今日1/12の10時頃に彼が旅立ったという記事を読んでから言いようのない、ぼんやりとした虚無感に僕は襲われている。それは時間を増すごとに、彼の演奏を聴き、また、彼の演奏を生で聴きにいったあの懐かしい高校生の時代を思い出せば思い出すほどに増大し、その加減は底を知らずに、無秩序に僕の庭を踏み荒らし、ドアを蹴破って、僕の深奥に闖入してきたのだった。

ジェフ・ベックが死んだ。

人が一人死んだ。確かにそれだけのことなのだ。しかし、確実に僕にとってはそれだけのことではなく、彼との折り合いをどうにも付けられずに崩壊する精神とともに進行する生活にまた寄り添っていかねばならないのだ。

ジェフ・ベックが死んだ。

偉大で、この世でもっとも音を楽しんだであろう少年が少年のまま還るべき場所に戻って行ってしまった。

ジェフ・ベックが死んだ。ジェフ・ベックが死んだ。ジェフ・ベックが死んだ。