2022/7/18

昨日僕の読書量が減っているという話をしたと思う。

いつかは増えるかもしれないけど。

それはそうと読書量は減ったんだけど、それに反して書きたい欲がふつふつと湧いてきている気がするし、現に書くことが億劫でならなかった昔とは違って、今は割とリラックスしてタイプの進むままに書き進められている感覚がある。

 

今日は親友の家でご飯を食べて、そのままゲームをして今ここでブログを書いている。彼といると虚しさが消える。恋人みたいな関係じゃ全然ない。そもそも俺はノンケだし。でも、落ち着くんだよな。

 

少し前に仲のいい女の子と結婚について話したことがある。

 

その子は

「早く結婚がしたい」

といった。 なぜ?と聞くと

「信頼できる誰かが欲しい」

といった。

 

結婚したから信頼できるのか?という疑問もあったが、それなら僕には結婚って必要ないなあと思った。僕は今までの境遇から女性のことは特に信用してないし、俺には親友がいるからその場所を彼女なり奥さんに任せる必要がないと思った。

 

やっぱり愛する人に求めるものって人によって違う。

僕のそれは何なんだろう。

2022/7/17

昔より本を読まなくなった。

まあ別に問題はないと思う。本を読まなきゃいけない理由はないし、今の俺の身体に本を読まなければ解消されない何かがない。だから最近は興味あるものとか古典をゆっくり読んでいる。

 

最近というか二か月くらい前からゆっくりゆっくり読んでいる本の中に『とりかえばや物語』がある。このブログを読む人はたいていそのあらすじを知っていると思うけれど、双子の姿も雰囲気も麗しく優雅な男女を入れ替えて育ててしまったお話。軽い気持ちで読み始めたんだけど、これが存外面白い。ってか、えろい。まじでえろい。まあ読んでください。俺がここで説明するのも野暮だし、そもそもやる気がない。

 

とりかえばやにも少しかかわる話なんだけど、ここ最近考えてることにセックスがある。そんなこと考えずにやっちまえよと思う人がいるかもしれない。でも不思議なんだよね。俺はあんまり性欲がないっていうか、あるにはあるんだけど、ときどきまじで気持ち悪くなる。だから考えるんだけど、人はセックスをするために付き合うの?って話。俺の周りには血気盛んな大学生がたくさんいる。だから、「やりたい。付き合いたい」ってやつがいる。でも、そうなのかって考える。まあこれは人によるのかもしれないね。また後で書きます。夜も遅いし。

2022/7/14

最近ラムダ株というコロナウイルスが流行ってるらしい。その影響を被って、幣学も授業やテストが延期になったり、部活がなくなったりして今はちょーぜつ暇だ。暇すぎて逆に何もできない。来週には組織学のテストが控えているというのになにもできない。YouTubeのショート動画をひたすらスクロールして、なにやってんだろって思ったら本を読む。それに飽きたらまたYouTubeを開いて…

 

あーー、つまらない。でも、つまらないってことは平和だし穏やかだ。それもそれで楽しいは楽しい。

 

片頭痛の女の子と先週から仲良くなってなってラインをしている。でも、ここ最近は気候が安定していないからあまり返事が来ない。寂しいな。

2021/5/5

この間、人生で初めて読書会に参加した。課題本は安吾の『桜の森の満開の下』だった。何周もした本だったし、想い入れの深い作品でもあった。

 

僕はかなり準備をして臨んでいった。読書会の前に課題本を2周して、印象に残った点や疑問点を抜き出していった。このあたりからこの本に対してこんなアプローチでいいのだろうかという想念がもやもやと芽生え始めた。

 

桜の森の満開の下。傑作だ。これ以上の作品はそうそうにないと個人的には思うし、ある種の人間達も同じことを思うんじゃないかと思う。この本には圧倒的な深さがある。そこらへんの作品が到達しようもない深さ。よく井戸の深さを確かめるために石を落とすことがあるけれど、本の深さを確かめる井戸があるとすれば、きっとこの本の井戸は音を鳴らさない。きっとね。

 

そいつの原因を確かめること。美と畏怖の相関が齎すブラックホール的な観念とやらの観測。それはおそらく不可能なんだよ、はじめから。

 

それでもそれを飲み込んだ上でこの本に対して挑むことは素晴らしいことだと思う。道化た笑みを浮かべながらでもいいし、引き籠もりの哲学者みたいに一生懸命になってもいい。よく分かんなくなってきたから、時計の針を正しくすすめてみる。

 

さて、読書会が始まった。

各人が自己紹介をした上で各々の感想や印象に残った点、それから考察について話す。

 

僕も始めはウキウキしていて、なんて楽しい場所なんだろう!って考えていた。でも一時間あたり経って場に慣れてるくると、どうだ?見え方が変わってくる。ただ自分の解釈を話すことでオナニーしてるやつがたくさん現れた。なんだか吐き気がした。気持ち悪い。でも、そのとき僕はこの気持ち悪さは自分がこの人たちとは異質だから感じてしまうものなんだと解釈してしまっていた。実際そんなんだけど、なんていうだろう。それは仕方のないことなんだ。人は違っている。全然違っている。絶対的真実。でもそれが虚しくて虚しくて仕方なかった。また僕は一人だった。

 

異質さの原因はそもそもの僕の性質からくるものだった。僕は読書に対して僕自身の根幹の思想(背骨)を辿るものと見ている。だから、本のテーマとかはっきり言ってどうでもいいし、表面的で自分勝手なくそ考察は嫌いだった。本にそれらしい宗教性を与えて、自分をその宗教に殉ずる正教徒だと妄想する。くそだ。まるっきりのくそだ。

 

でも、それは仕方ないことだった。違っているから。

 

多分こういうことを簡単に飲み込めれば大人になれるんだろうな。わかっているけれど、僕にはそれがうまくできなかった。やっぱりわかっていても哀しいな。

 

なんか支離滅裂だけど、書ける量が増えてるね。ウケる。ばいばい。

2022/04/23

 久しぶりに酒を飲んだ。ジャックダニエルをコーラで割る、いわゆる「コークハイ」というやつ。まあこれがうまい。安酒界(そんなものが存在するのであれば)ではぶっちぎりにうまい酒である。何飲もうか困ったらこれを飲めばいいと思う。ウイスキーの濃さも調節できるし最高。開始そうそう酒の話ばかりしているけれど、ぶっちゃけそんなに酒に強いわけじゃない。ヘテロだしね。でも、ペースさえ考えればずっと飲めるし、一回吐いて覚醒すれば永遠に飲めるようになる。

 

 今日は一週間の解剖実習終わりで少し飲んでパァーっとしたかったし、飲みたい奴と話せたいしそれなりに楽しかったな。これくらいの幸せがなぜか安心する。幸せすぎるってのはどことなく不吉な霧が漂う感じがして、幸せを感じたあとに無性に死にたくなる。こういうのって俺だけなのかね、みんなもそうなのかな。だとしたら、存外平凡な反応でちょっとつまらないかもしれない。まあいいや、こんなことを話したいわけじゃない。

 

 『チェンソーマン』っていう変態藤本タツキが書いたやばい漫画がある。僕はそれを「読む麻薬」なんていう安っぽいキャッチコピーで読んでいるけど、悪くはないと思う。よくもないけどね。実際そんな感じで、ストーリーがすごいとかじゃないんだよ。勢いがすごいって言うのかな。すべてを巻き込みながら、破壊して、ぐちゃぐちゃにして、それが読んでる側からするとある種のカタルシスみたいな、その五文字のカタカナよりもっと揺らいだ日が燦燦と照り付ける海に浮かぶ筏に仰向けに眠っているときみたいな解放感に包まれる。そいつがたまらない。何周も何周もしてしまう。これは困った。解決策ではないけど、澁澤龍彦の『スリルの社会的効用について』というエッセイでそれの答えの一部分になりうる文章が載っているから、『チェンソーマン』が好きで好きでたまらない方には是非読んでほしい。

 

 諸事情によりしばらく禁煙してるけど、今めっちゃ吸いたいなあ。煙草って普通に美味いからさ。吸うのは勧めないけど、僕はこれが結構好き。なんで進めないかって言うと、身体にも悪いし、印象悪いから。でも、煙草吸うといろんなものが見えやすくなる。これは煙草の化学的作用のことではなくって、煙草の使用による新世界or新観念への没入(なんか変な言葉だしミスってね?)が得られるってこと。煙草を吸うと喫煙者が何を観ているかわかるし、なにより偏見が無くなる。煙草を吸うと健康に危害がおよぶ???果たしてそうなのか?健康って何だろうか?そんな素朴な疑問も思いつくようになる。例えばの話。それでもやっぱり僕は煙草を勧めない。軽々吸っても中毒になるしね。

 

 最近、『おかえりアリス』の新刊が出たんだけど、男とか女ってマジで何なんだろうね。わっかんね。最近そればっかり考えてる。

 

 これくらいで終わります。小説頑張ります。ばいばい。